中生代以後になって、角閃小紋岩(石英斑岩と同質であるが、それよりも稍深所で凝固したるもの。若し地表に湧出すれば流紋岩となるという)が岩脈状をなして花崗岩の間に迸入した。薬師岳の如きは流紋岩に類似せる角閃小紋岩から成っている。又立山附近から北方の山骨は、片麻質花崗岩より片麻岩に推移しているという。斯く立山後立山の両山脈は同じ花崗岩類であっても、時を異にして迸発したものの集合体である。加うるに火山脈がまた山脈の走向と殆ど一致して之を縦貫している。そして是等及び其後に於て幾度か繰り返されたであろう地変の為に、大小の断層が生じ、それが互に交錯しているであろうから、黒部の本流は勿論其支流も、流路の一部或は全部を其断層線上に仰いでいる場合がないとも限るまいし、此両山脈の山に熟み割れた柘榴のような壊裂的な峰頭や、山稜が凹字形に抉れて、越中の人夫が「窓」とうまい名を付けた通過困難な悪場が少くないのも亦その為であるかも知れないと思う。
最後に此の両山脈に於ける積雪に就て考えて置く必要がある。冬期日本海を渡って押寄せる西北の恒常風は、尽く其水蒸気をさらい来って、真先に撞き当るのが立山山脈であるから、此処に多量の降雪(孰れの山脈に於ても風上よりも風下に当る山稜の側面が余計に積る)を見るのは言う迄もないが、劒岳の正東に聳えている鹿島槍ヶ岳以北の後立山山脈は、之と比較す可き立山山脈の北半よりも、平均して三百米も傑出しているし、白馬岳の如きは五百米も高いので、多雪地帯ともいう可き後立山山脈の北半に在りても、最も雪量が多い。これが夏になって駆け出しの登山者を驚喜せしむる白馬尻の大雪渓ある所以である。之に次では黒岳(水晶山)が二千九百二十六米もある薬師の大岳を西北の障屏としてはいるが、流石に一頭地を抜いているだけに、其東面に在る三個のカールには多量の残雪が眩い光を放っている。鹿島槍ヶ岳以南の爺岳・針ノ木岳・蓮華岳・野口五郎岳若くは鷲羽ヶ岳などは、平均高度を突破した秀峰であるに拘らず、積雪の量は毛勝連峰よりも少いのである。薬師岳の四個のカールも亦多量の雪を貯蔵することに於て、黒岳を凌駕しているが、東の側面が短くて急である為に、劒沢のような大雪渓の発達は見られない。独り立山連峰のみは日本アルプスに於ける万年雪の一大宝庫たる名を擅にす可き有ゆる条件を具えて、崢たる峰巒を飾るに、白雪燦然たる四個の大カールと、刃のこぼれた絶大な薙刀を懸け連ねたような大雪渓とを以てし、其間に盛夏八月尚延長一里に近い劒沢の雪渓を擁して、後立山山脈を羚羊のように縦走する登山者に讃嘆の眼を瞠らしむるのである。
立山後立山の両山脈が斯く東西に対峙していることは、日本北アルプスに取りて何たる幸であろう。木曾駒ヶ岳山脈は、大部分花崗岩から成り、高さに於ても長さに於ても、はた又山の姿に於ても、此両山脈の孰れにもさして劣る者ではないが、之を中央アルプスと唱うることは快く認容しても、何か満たされないような物足りなさと軽い失望とを感ずることを免れないのは、近くに之と対比す可き大山脈を欠いている為であろう。
此二大山脈の始まる所に潺湲たる産声をあげて、其懐に養われつつ倶に北に走ること三十里、その尽くる所に雪を噴く奔湍と雷のような瀬の音とを収めて、日本海に注ぐものは即ち幽峭並ぶものなき黒部の峡流である。